ハワイの衣料品製造業の歴史 その255 1946年~49年 ホロムーその他の、終戦後初期のハワイアン・ポリネシアン・タイプの衣料品(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られています。
今回から新しい話題になります。
『1946年~49年 ホロムーその他の、終戦後初期の
ハワイアン・ポリネシアン・タイプの衣料品(1)
1946年から49年までに広告が出されたハワイ製衣料品の種類は
例えば以下のようなものである。
ジェマルズ
ホノルル・スターブリトゥン紙
1946年3月9日
”ハワイアン・スポーツ・シャツとショーツ。タパ柄。緑、茶、青、黄。
---女性物のスリーピース・セット---スカート、シャツ、ミッドリフ
(訳注:丈の短いジャケット)。”
ワットムルス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月12日
”お祭り気分のホロクを着てアロハ・ウィークを祝いましょう。”
クレイマーズ
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月19日
”アロハ・ウィークのスポーツ・シャツを今手に入れましょう。
ハワイ柄やタヒチ柄(訳注:パレオ柄)の新柄がたくさんあります。”
キング・スミス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月22日
”「アロハ」シャツ。---マリン・プリント。”
ワットムルス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月26日
”アロハ・ウィーク用のタヒチ柄サンドレス。”
リバティ・ハウス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月26日
”ハワイ独特のお祭りファッション
---女性にはサロン・プレー・ドレス、水着、アロハシャツ、
ジャケット・シャツ。
男性にはスポーツ・シャツ、海水パンツ。”
ワットムルス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1948年10月17日
”パケ・ジャケット、ホロク、サンドレス、アロハシャツ、
ムームー(女児と女性)、ハワイアン・プリントのハウスコート。”
レイラニ
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1948年10月31日
”「パラカ・プレイメーツ」、パケ・ジャケットとパンツ(ペダル・プッシャーの丈)。”
シアーズ・ローバック・アンド・カンパニー
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1948年11月14日
”ハウスコート、ムームー、パケ・シャツ、
男性と男児のスポーツ・シャツ。” 』
アロハシャツや、それに類するものは、
わかりやすいように太字で表記しておきました。
ここでひとつ注意しておきたいのは、アロハシャツという単語についてです。
キング・スミスの広告では、「アロハ」シャツと
カッコ付きで表記されていますが、
これは「アロハ」というのがブランド名であること、
そしてそれが「商標」として登録されているということを
さりげなく主張しているわけです。
そのためキング・スミス以外は、1946~47年の時点では
ハワイアン・スポーツ・シャツ(ジェマルズ)、
ハワイ柄やタヒチ柄のスポーツ・シャツ(クレイマーズ)、
と表記して、アロハシャツという言葉をさりげなく避けているのです
(実質的にはアロハシャツとほぼ同じものを指していると思われます)。
1947年の唯一の例外が大手百貨店のリバティ・ハウスです。
これは、「アロハシャツ」という言葉がブランド名ではなく一般名詞であると捉えて
(おそらく、弁護士とも相談の上、もし訴えられても抗弁できると考えたのでしょう)、
確信犯的に使っているのではないだろうか、というのが筆者の考えです。
そして、「アロハシャツ」という言葉がさらに世間に浸透していき、
翌1948年にはワットムルスも使うようになっていったのではないでしょうか?
(シアーズではまだスポーツ・シャツと呼んでいますが・・・)
(次回に続く)
この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られています。
今回から新しい話題になります。
『1946年~49年 ホロムーその他の、終戦後初期の
ハワイアン・ポリネシアン・タイプの衣料品(1)
1946年から49年までに広告が出されたハワイ製衣料品の種類は
例えば以下のようなものである。
ジェマルズ
ホノルル・スターブリトゥン紙
1946年3月9日
”ハワイアン・スポーツ・シャツとショーツ。タパ柄。緑、茶、青、黄。
---女性物のスリーピース・セット---スカート、シャツ、ミッドリフ
(訳注:丈の短いジャケット)。”
ワットムルス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月12日
”お祭り気分のホロクを着てアロハ・ウィークを祝いましょう。”
クレイマーズ
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月19日
”アロハ・ウィークのスポーツ・シャツを今手に入れましょう。
ハワイ柄やタヒチ柄(訳注:パレオ柄)の新柄がたくさんあります。”
キング・スミス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月22日
”「アロハ」シャツ。---マリン・プリント。”
ワットムルス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月26日
”アロハ・ウィーク用のタヒチ柄サンドレス。”
リバティ・ハウス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1947年10月26日
”ハワイ独特のお祭りファッション
---女性にはサロン・プレー・ドレス、水着、アロハシャツ、
ジャケット・シャツ。
男性にはスポーツ・シャツ、海水パンツ。”
ワットムルス
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1948年10月17日
”パケ・ジャケット、ホロク、サンドレス、アロハシャツ、
ムームー(女児と女性)、ハワイアン・プリントのハウスコート。”
レイラニ
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1948年10月31日
”「パラカ・プレイメーツ」、パケ・ジャケットとパンツ(ペダル・プッシャーの丈)。”
シアーズ・ローバック・アンド・カンパニー
ホノルル・アドヴァタイザー紙
1948年11月14日
”ハウスコート、ムームー、パケ・シャツ、
男性と男児のスポーツ・シャツ。” 』
アロハシャツや、それに類するものは、
わかりやすいように太字で表記しておきました。
ここでひとつ注意しておきたいのは、アロハシャツという単語についてです。
キング・スミスの広告では、「アロハ」シャツと
カッコ付きで表記されていますが、
これは「アロハ」というのがブランド名であること、
そしてそれが「商標」として登録されているということを
さりげなく主張しているわけです。
そのためキング・スミス以外は、1946~47年の時点では
ハワイアン・スポーツ・シャツ(ジェマルズ)、
ハワイ柄やタヒチ柄のスポーツ・シャツ(クレイマーズ)、
と表記して、アロハシャツという言葉をさりげなく避けているのです
(実質的にはアロハシャツとほぼ同じものを指していると思われます)。
1947年の唯一の例外が大手百貨店のリバティ・ハウスです。
これは、「アロハシャツ」という言葉がブランド名ではなく一般名詞であると捉えて
(おそらく、弁護士とも相談の上、もし訴えられても抗弁できると考えたのでしょう)、
確信犯的に使っているのではないだろうか、というのが筆者の考えです。
そして、「アロハシャツ」という言葉がさらに世間に浸透していき、
翌1948年にはワットムルスも使うようになっていったのではないでしょうか?
(シアーズではまだスポーツ・シャツと呼んでいますが・・・)
(次回に続く)
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