ハワイの衣料品製造業の歴史 その106 1922~41年 ハワイの衣料品製造業の歴史・戦前編の概要(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。
いよいよ、この章(ハワイの衣料品製造業の歴史・戦前編)全体の概要になります。
1922~41年 ハワイの衣料品製造業の歴史・戦前編の概要(1)
ハワイにおける衣料品製造は、
この期間(訳注:最初のメーカーが誕生した1922年から、
戦争に突入する1941年まで)に大きな変化を遂げた。
第一に強調したいのは、1920年代には労働着を生産していたのが、
1930年代末にはスポーツウェアを生産するようになったことである。
ホノルル商工会議所の主催で1930年代の約10年間毎年開催された
ハワイアン・プロダクツ・ウィークが強い影響力を持っていたため、
その博覧会が結果的に、ハワイ製の衣料品を宣伝し、
地元住民に広めてくれたのである。
1935年以降、「アロハ」シャツの成長は
ハワイの衣料品産業の成長と相互に密接に関係するようになった。
1935年以降、オーダーメードのデザイナーも
新規参入の衣料品製造会社もどちらも、
衣料品のデザインをより良くし種類を増やすことや、
ハワイ柄の生地を使うことに力を入れた。
ハワイの衣料品製造業の、その後の数十年の成長に関わってくるような
基本的な特色のいくつかは、
1941年末までにはすでに確立されていた。
その特色として挙げられるのは、
ハワイ柄のプリント生地を使用したこと、
しかもしばしば1つの柄を自社だけのために使用したこと、
東洋の国(訳注:ほとんど日本だったと思われるが、
インドやインドネシアも含まれるかもしれない)で生地をプリントしたこと、
それぞれの会社が専門分野を作らなかったこと、
高品質な職人技を貫いたこと、派手な色を使ったこと、
地元向けだけでなく輸出向けにも衣料品を生産したこと、
家族みんなに向けて衣料品を作ったこと、
そして高価格帯でおしゃれなリゾート市場に訴求したことなどである。
ハワイの衣料品製造業者は、ハワイ市場と世界市場で、
高品質を受け入れてくれる人々を探し始めていたのである。』
(次回に続く)
いよいよ、この章(ハワイの衣料品製造業の歴史・戦前編)全体の概要になります。
1922~41年 ハワイの衣料品製造業の歴史・戦前編の概要(1)
ハワイにおける衣料品製造は、
この期間(訳注:最初のメーカーが誕生した1922年から、
戦争に突入する1941年まで)に大きな変化を遂げた。
第一に強調したいのは、1920年代には労働着を生産していたのが、
1930年代末にはスポーツウェアを生産するようになったことである。
ホノルル商工会議所の主催で1930年代の約10年間毎年開催された
ハワイアン・プロダクツ・ウィークが強い影響力を持っていたため、
その博覧会が結果的に、ハワイ製の衣料品を宣伝し、
地元住民に広めてくれたのである。
1935年以降、「アロハ」シャツの成長は
ハワイの衣料品産業の成長と相互に密接に関係するようになった。
1935年以降、オーダーメードのデザイナーも
新規参入の衣料品製造会社もどちらも、
衣料品のデザインをより良くし種類を増やすことや、
ハワイ柄の生地を使うことに力を入れた。
ハワイの衣料品製造業の、その後の数十年の成長に関わってくるような
基本的な特色のいくつかは、
1941年末までにはすでに確立されていた。
その特色として挙げられるのは、
ハワイ柄のプリント生地を使用したこと、
しかもしばしば1つの柄を自社だけのために使用したこと、
東洋の国(訳注:ほとんど日本だったと思われるが、
インドやインドネシアも含まれるかもしれない)で生地をプリントしたこと、
それぞれの会社が専門分野を作らなかったこと、
高品質な職人技を貫いたこと、派手な色を使ったこと、
地元向けだけでなく輸出向けにも衣料品を生産したこと、
家族みんなに向けて衣料品を作ったこと、
そして高価格帯でおしゃれなリゾート市場に訴求したことなどである。
ハワイの衣料品製造業者は、ハワイ市場と世界市場で、
高品質を受け入れてくれる人々を探し始めていたのである。』
(次回に続く)
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