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ハワイの衣料品製造業の歴史 その52 1936年 ブランフリート・スポーツウェアとカメハメハ・ガーメント社がホノルルで操業を開始した [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


 『1936年 ブランフリート・スポーツウェアとカメハメハ・ガーメント社が
      ホノルルで操業を開始した


   1930年代の中頃に2つの会社がハワイで操業を開始し、
  そのことがハワイの衣料品製造産業の活動範囲を急速に変えた。
   1936年1月、衣料品の小売りと卸しのビジネスの経験がある
  ジョージ・ブランジエとナサニエル・ノーフリートが、
  ホノルル地区で衣料品を生産していたウォングス・プロダクツに
  生産を委託することにより、
  ブランフリート(のちにカハラ・スポーツウェアに変更)を始めた。
  その後、ブランフリートはノース・キング通りに本社を構え、
  1939年7月にはカピオラニ通り1236番地に工場を開いた。

  George-Brangier.jpg
  (ジョージ・ブランジエ)

  Kahala-Playsuit.jpg
  Kahala2.jpg
  Kahala-Playsuitrings.jpg
  Kahala-label.jpg
  (vintagefashionguild.org のHPより引用。筆者は1930年代後半製と推測)

   一方、カメハメハ・ガーメント社は1936年、
  サウス・ベレタニア通り800番地Bに工場を建てた。
  ハーバート・ブライナー氏が同社の支配人である。
  同社は、スポーツウェアを生産するために立ち上げられた
  最初のハワイアン衣料製造会社の中の1社であったが、
  1939年までにはハワイで最も大きくまた最も成功した
  衣料品製造会社の1つになっており、
  総生産量のかなりの部分を米国本土に輸出していた。

  カメハメハ 織ネーム.jpg

   これら2社は、ハワイ製のプリント柄スポーツシャツの大部分の生産方法を、
  オーダーメードからファクトリー・メードに変えた。
  ハワイ製衣料品のスタイルが固まっていく過程において、
  彼らが初期に目指そうとしたことが、
  スポーツウェアとラウンジウェア(室内着)のその後の伝統を
  しっかりと形作っていったのである。』



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